OKIRAI PREMIUM 越喜来プレミアム

2022/06/06 22:40

越喜来の海とともに暮らし続けて16代
越喜来湾の養殖業を根付かせた中野えびす丸

大船渡越喜来崎浜。
小さな港町で代々受け継ぐ強い意志
白いペンキで「ナ」と、書かれた黄色いブイが並ぶ、越喜来湾の洋上。
ここが、中野えびす丸のホタテ養殖場です。
たくさんのブイが等間隔に取り付けられているのは、ガワと呼ばれる太いロープ。
ほかの漁家と共同管理しているガワのうち、中野えびす丸は、22台を保有。稚貝から出荷間近の「2年生」まで、数十万個のホタテを海中に垂下し、養殖しています。
代々、漁業を生業としている中野家ですが、養殖業は、今から約50年前、中野勇喜が20代の頃に始めました。
当時、漁師といえば、船乗りとして各地へ出稼ぎに行くことが主流。
その間、地域の働き手が減ることに課題を感じた勇喜が、「地元で安定した収入を得られる産業をつくりたい」と、地元の仲間7人と着手したのがホタテ養殖でした。
赤崎地区の蛸ノ浦で養殖法を学んだ彼は、それを越喜来湾崎浜に持ち帰り、養殖業を展開。
現在では、中野圭が、中野えびす丸の船長としてその技術を継承しています。
中野えびす丸の収入の9割はホタテですが、ワカメやホヤの養殖、季節によって、ウニやアワビの漁も行います。
16代目の圭が子どもの頃から、両親はそろって船に乗り、漁に出ていました。
浜で作業することの多い女性が、沖に出るのはとてもめずらしいこと。
代替わりした現在でも、親子3人で船に乗り、精力的に海での仕事に励んでいます。
16代 中野圭の思い
日本の水産業は今、大きな二つの問題に直面しています。
一つめは、高齢化に伴う人材不足。越喜来でも震災前は24軒あった漁家が、今や7軒にまで減少しました。
もう一つは、海中環境の変化。近年、三陸では、鮭やサンマの漁獲量が激減しました。ホタテの養殖においても、稚貝からの生存率が大きく低下しています。
これらの課題と向き合い、「日本の水産業を救うモデルを作る」のも中野えびす丸の使命と考えています。
強い使命感と「越喜来人」としてのアイデンティティを胸に、この小さな町で動き出しています。